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「好奇心」に思うことについて書いてみた

  • 2025年8月17日
  • 読了時間: 5分


双杉旬太郎です。「好奇心」という人間の内側にある、なんだか掴みたくても掴みようのない「感情?」についてフォーカスしてグダグダと書いてみたいと思います。


まず、皆さんは「好奇心」と聞いてその印象はどのようなモノでしょうか?


子ども、ワクワク、遊び、重要ではない、無意味、失われていくもの


好奇心と聞くと、大人の僕たちにとって見たら、「仕事で使わないし、重要視されない無意味なもの」としてとらわれているような気もしないでもありません。(企業の社風にもよる)

ではもう1つ質問をさせてください。


子どもの頃(小学校1年生)の自分自身の「好奇心レベル」をMAX100だとしたら今の自分自身の好奇心レベルはどれくらいでしょうか?


僕もこの問いに対して真剣に向き合ってみました。小学校1年生の時の自分自身を必死に思い出し、その時の記憶や感情を自分の中から引きだしてみました。(そもそもこれ自体がめちゃくちゃ大変です。(笑))



僕自身の好奇心レベルは?


多分レベル20くらいだと思います。子どもの頃と比べた結構失われているんじゃない?


思い出せた範囲で、小学校の時僕が間違いなく好奇心に突き動かされていたエピソードについてまとめてみました。


「塩をナメクジにかけてみる」

「トンボのしっぽを引き抜いてみる」

「花の蜜を吸ってみる」

「ヤゴを育ててトンボにしてみる」

「芋虫を飼って、アゲハチョウにしてみる」

「廃校の中に忍び込んでみる」

「アリを食べてみる」

「川の上流を見つけに川をひたすら歩いてみる」

「雪を食べてみる」

「アリ地獄の中にコーラを入れてみる」

「笹の葉で船を創って川に流して、ひたすら追いかけてみる」

「森の中を探検してみる」

「クワガタに指を挟まれてみる」

「どんぐりを食べてみる」

「クモの巣にバッタを投げ、食事される様子を観察してみる」


と、まあきりがないのでこの辺に。(こうやって見てみると、生き物に残酷なことしてんなあ、と申し訳ない気持ちが。。。)思い出してみたら、間違いなく好奇心に駆られたエピソードとして記憶があります。



生まれた疑問


こうやって、アウトプットしてみると沢山の問いが生まれます。


①「28歳の僕は今でもこれをやりたいのか?」


②「いや、やりたくはないな」


③「それはなぜだろう」


④「既にこれをやったらどうなるのか?を知っているからじゃないか?」


⑤「なるほど、確かに知らない世界、に好奇心を掻き立てられ、身近な自然の中で好奇心が向く先として上記のエピソードがあった可能性があるな」「知らない世界を知りたい。これをやったらどうなるのか?が気になってしょうがない。それが好奇心の正体だとしたら、昔より、結果を知っている分、「好奇心が向く先の数」少なくなっているように感じるが、確かに今でも好奇心を向く先は確かに存在していて、その「強さ」は比較できない気がする」


⑥子どもの頃の自分と比べると、好奇心レベルは20くらいだと思っていたが、それは「好奇心が向く数」が減少しているだけで、強さの基準は測れない。「好奇心が向く先の分野」は絞られているような気もしていて、その分野に対しての好奇心の強さは結構高い気がする」


⑦なるほど、好奇心のレベルが低くなっているような気がするというのは「錯覚」だったの

かもしれない(大人が好奇心が少なくなる、という思い込みもある?)

みたいなプロセスで、好奇心には「好奇心が向くものの数」と「好奇心の強さ」の2つの軸がありそうな気がしてきました。



それと同時に、ある仮説が立ちます。


「大人になるにつれて、好奇心は失われるものではなく、好奇心が向く先が絞られているだけではないか?」ということです。そして多くの人が「好奇心が向く先が絞らている」ことと「好奇心が失われている」ということを錯覚している可能性があるのではないでしょうか?


「塩をナメクジにかけてみる」

→ナメクジは溶けます。死んでしまいます。


「トンボのしっぽを引き抜いてみる」

→少しの間は飛んでいられますが、トンボは苦しみそのあと死んでしまします。


「花の蜜を吸ってみる」

→美味しい花もあれば、苦い花の蜜もあります。


「ヤゴを育ててトンボにしてみる」

→ヤゴからトンボにするのは結構難しいです。


「廃校の中に忍び込んでみる」

→不法侵入です。


「アリを食べてみる」

→酸っぱいです。


「川の上流を見つけに川をひたすら歩いてみる」

→疲れます。


「雪を食べてみる」

→まずいです。


全て好奇心によって、実験済みです。


上記でさらに深めて知りたいという欲求がある分野は僕には今のところありません。


ただ、「世界一大きな絵を完成させたらどうなるんだろう」

「絵日記という表現を世界一の大きさで描いたら、それはアートなんだろうか?」

「遊びを軸に日本一の公教育を目指す、安平町の中で世界一大きな絵を描くという遊びをしたら何が起きるんだろう」

「大人がくそ真面目(本気で)遊んでいたら、子どもにはどのような影響がもたらされるのか?」


みたいな感じで何となくですが、子どもの時の広く浅く、というより、狭く、深く具体的な部分に対して好奇心が駆動している様に感じます。そしてそこに対してのワクワク感は正直めちゃくちゃ高い。


当然といえば当然。子どもの頃よりも、知ってる世界はもちろん広くなっているからです。人生生きていればそれは当たり前。


色々と書きましたが好奇心について少し向き合ってみた結果こんな風に思います。


大人になるにつれて好奇心が失われて行ってしまっている可能性があるなあと感じていたが、「好奇心が向く先の数は確かに減っているかもしれないが、特定の領域(自分が好きな事)の分野においては大人になった今でもしっかりと好奇心が高く存在している可能性がある」


知ったことは増えて、好奇心が向く先の数は減っている可能性はあるが、世界はまだまだ知らないことばかり。「より世界を広めて自分の興味がある分野を広げる努力次第ではその数だって増やせる可能性がある。

ということかなあと。


皆さんはどう思いますか??


皆さんの好奇心のレベル、好奇心の向き方、発動のされ方など好奇心について皆さんが感じていること、考えていることがあれば是非教えてください!


(ここまで書いていて、「好奇心」について自分自身高い「好奇心」を持ってしまっているため、別の角度からでもまた考えてみたいと思いました(笑))


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